テセウスの野球チーム
今年に入ってから野球を見るようになった。横浜ファン。
「贔屓球団の選手がまるごと他の球団と入れ替わったらどちらを応援するか?」みたいな話があるらしい。
要はテセウスの船*1の野球バージョン。
今日は哲学的な話ではなく個人的な主観というか、先日のトレードへの気持ちでも書こうと思う。
上記の通りにわかなので白崎のことはほとんど知らなかったけど、高城のトレードはショックだった。嶺井戸柱が離脱や2軍落ちでスタメンになる機会が増えてきて、特にウィーランドとのタッグでWジョーと呼ばれてインタビューを受けていたのが記憶に新しい。そんな捕手を出してしまうのか。
伊藤は実績考えれば釣り合わないレベルの選手らしいけど、知らない上に愛着もないから気分はどうしようもない。
もちろん来たからには歓迎する。ただ、自分は野球チームそのものを応援していたわけではないのかもしれない。応援している選手達の集合体としてチームがある、という感じ。
選手に愛着があれば成績もどうでもいいかもしれない。
今日はホームランも打ったし伊藤最高や!っていう気分にはなるし、チームが強くなるのは当然喜ばしいけど、嶺井戸柱を見る機会が減ると思うと寂しい。
少し本題に話を戻すと、選手が出ていくショックや新戦力に取って代わられる寂しさは時間が解決してくれるので、まるごと入れ替わったら話が別だが、今のスパンで入れ替わりが起こっていく分には同じチームとして応援し続けられると思う。でも、昔の選手を忘れていくのもそれはそれで悲しい気もする。
*1:船を修理していって、元々あった部品が全部別の部品に置き換わったらそれは同一の船と呼べるのか?という話
数えられない
数を数えるって頭痛が痛いみたいに見える。でも数を数えるって言うから不思議だ。
調べたらいろいろと出てきたが、結局よくわからなかったし脱線するだけなのでやめておく。
数が数えられない。正確に言うと1つずつ数えることができない。
数えたいものが並んでいても乱雑であっても、1,2,3,4,5,……とやっていくと10を超えた辺りで「ああ10を超えてしまった。10個以上は数えるのが大変なので1つずつ数えない方がよい」という考えに支配されてしまう。たとえ実際の数が14程度しかなく、あと少し頑張れば完了するところでもダメだ。12なら多分いける。13はわからない。
なぜだか考えてみると、これはもう日本語の欠陥だと思う。「じゅういち」「じゅうさん」などは長すぎる。言葉を使って思考する以上、頭をどれだけ速く回転させても言葉の速さは超えられない。12345678910……(区切ってないが"いちにーさん……"と読んで欲しい)と高速で数えていたのに、二桁目に入ると11,12,13……と一呼吸置く必要がある。それを無視して一桁目と同様の速さで数え上げていくと、目が数えるスピードと頭で考えるスピードが一致せずに混乱してしまうのだろう。
対処法は簡単で、1つずつ数えられないならいくつか(大体3つか4つ)をまとめて数えてしまえばいい。一度に認識する数を増やすとその分時間がかかるので、それを利用して現在の数字を意識する余裕を持てる。
日本語の欠陥などと書いたが、そもそも二桁目以降を一桁のときと同様に表せる言語を知らない。記数法をどう変えたところで、桁が増えると「桁が増えたこと」が情報に加わるので、そういうことは現実的でないのかもしれない。